いなかうぇ〜ぶ

山陰地方 鳥取県、島根県の中海圏域の話題を中心にいなかの話題や情報をご紹介いたします。
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最後まで読んで下さい。#genpatu
渡部亮次郎氏のメルマガ「頂門の一針 2232号」からお借りしました。

どうぞ最後まで読んで下さい。


「私が書き残し、伝えたい事」



      村井 正典

下記は、家内の知人が自分の会社、自宅共に被害にあったにもかかわら
ず被害地で奔走したときの現状を綴ったものです私自身この現状を知り
予想をしていたとはいえ涙がとまりませんでした。

「私が書き残し、伝えたい事」

地震発生日から5日目、首都圏に住む私の友人が厚意で手配してくれた支
援物資が我が家に届いた。

トラックを運転手付きで丸ごと一台チャーターし、大量の食料や飲料水、
乾電池、そしてドラム缶2本のハイオクガソリンが我が家の駐車場に降ろ
された。

東京でも買い占めなどで食料品やガソリンが品薄な時期、これだけの物
資を揃えるのは並大抵のご苦労ではなかっただろうと思う。

早速、私の自家用車であるアメリカ製の4WD車(シボレー・ブレイザー)
へガソリンを満タンに入れ、翌日の朝に仙台空港にほど近い「閖上(ゆ
りあげ)港」へ向かった。

この港のすぐ側に私の船(プレジャー・ボート)の管理を任せているお
宅があったからである。

TVで津波の映像を何度も見ていたので知人の安否が気になっていた。

車に食料と水、米などを積み込み、高速道路や有料道路は使えない状態
なので、国道4号線を南下し閖上を目指したが、国道から外れ海岸線が近
づくにつれて辺りの景色が一変した。

海岸まではまだ直線距離で2!)以上あり、閖上港まで続いていた街並みは
見渡す限り瓦礫が散乱し海岸線に植林された防潮林が僅かに残って見え
ている。

本来ならここからは海は見えないはずの場所である。

津波に飲み込まれ、一つの街が完全に消失していた。

瓦礫を除けてかろうじて作られた道とも言えないところを慎重に進むが、
港へは近づけない。

堤防や防潮林を超えて押し寄せた大津波は、引き潮の際に堤防に遮られ
海へ戻らず陸地に留まり辺り一面を水浸しにした。

瓦礫を浮かべている水溜まりの水深は深い場所では2m以上ありそうだ。

慎重に水溜まりを避け瓦礫の中を進んでいくと、信じられない光景が目
に飛び込んできた。

瓦礫の山の中や水溜まりに沈んだ車の中に、まだ数多くの犠牲者が残さ
れたままなのである。

いち早く避難し津波から逃れた人達が瓦礫の中から懸命に家族を探すが、
とても人力のみで捜索できる状態ではない。

たとえ見つけたとしてもそこには更に辛く悲しい現実がある。

津波の破壊力は想像を絶する。

瓦礫の中に見え隠れする犠牲者の遺体は、どれひとつとしてまともな姿
をしていない。

人の姿のまま見つかった犠牲者は数えるほどではないだろうか。

更に奥へ進むと道端にブルーシートや毛布に包まれた遺体がそこかしこ
に置かれている。

地震発生から6日目で、まだこの状況である。

目の前の光景が信じられなかった、辺り一面の瓦礫、横たわる遺体、漂
う臭い、ここは戦場だ、決して日本の長閑な港町などではない。

車から降りて地面に立つと足がガタガタ震えている。

車につかまっていないとその場にへたり込んでしまいそうだった

自分に「気持ちをしっかり持て!」と何度も何度も何度も言い聞かせた、
そうしないとPTSDになってしまいそうだったからだ。

この地域には大規模な避難所施設は無く、被災者が自然と寄り集まり避
難所と化している場所がたくさんある。

宮城県の発表によると県内に存在する避難所は当時で約1,100箇所という
膨大な数だが、ここのように自然発生的に出来た避難民の集まった場所
は、その数には入っていないに違いない。

水も食料も無く、瓦礫の材木で焚き火をして暖をとり、屋根も壁も無い
場所で濡れた毛布を被りながら氷点下の夜を過ごしている人達がまだ大
勢いる。

このような場所がそこら中に点在しているのだ。

当時、自衛隊もこのような場所までは把握していなかったのではないだ
ろうか、行政は大規模避難所の設営や運営で手一杯、メディアのヘリコ
プターは希に彼方の上空を通るが彼らに救出や救援は期待できない。

車もガソリンも手に入らず、仮にあっても普通の乗用車ではここまで来
るのは困難だろう。

ある被災者が言った、この場所にこんなキレイな外車があるのが不思議
だ、と。

あまりに場違いで、あたりの光景とミスマッチなのである。

救援は誰も来ていないのか?と尋ねると、あんたが初めてだと言う。

私は救援の為に来たのではない旨を説明し、しかし出来る事はしたいと
伝えて車に積んで来た僅かばかりの食料と水をその被災者が身を寄せて
いる避難場所へ降ろし、比較的元気な青年を車に乗せ、この付近では比
較的大きな避難施設へ彼を送り届け、この青年のいる場所の事情を救助
隊とおぼしき人へ説明し救援を頼んだ。

結局この日、私の知人は見つからなかった。後日、一家6人全員が亡くなっ
た事を知った。

家に帰り、妻に見てきた状況を説明し、昨日首都圏の知人から届けられ
た食料や水、そして鍋やカセットコンロなどを積み込めるだけ積み込ん
だ。

トラックではないので一度に大量には積めないが、それでも少しの足し
にはなるだろう。

妻も協力してくれ、私では気付かなかった生理用品や薬、タオル、味噌、
醤油などの調味料も用意してくれた。

再び現地へ戻った頃には気温も下がり始めており、天気予報では今夜か
ら翌日にかけて雪だった。

昼間、別の大規模避難施設へ送り届けた青年はまだ帰ってきておらず、そ
の避難施設からの救援も来ていなかった。

私の車から食料や水を降ろし、炊きだしを手伝って僅かばかりのインス
タント食品を皆で分け合いながら食べていただいた。

明日で震災から一週間である、なのにこの場所へは全く救援の手が届い
ていない。

このような場所はおそらくまだ沢山あるに違いない。

私の自宅では水道が復旧したので、ポリタンクや空のペットボトルへ水
道水を詰め、翌日積めるだけの物資を積み込んで再度避難場所を訪ねた。

昨日の青年はまだ戻っておらず、救援の手も届いていなかった。

後日わかった事だが、この時はまだ、どこの避難施設も手一杯でガソリ
ンもなく他の所へまで手が回らないのが実情だった。

昨日の避難所へ物資を降ろそうとすると、被災者の皆さんが、この先に
もう一つ集落があるので、そちらへ行ってみて欲しいと言う。

物資は降ろさず、帰りにここへもう一度立ち寄ると約束し、更に4〜5!)
ほど離れた集落を目指して車を進めた。

しかし2!)ほど進んだところで瓦礫に阻まれ、いくら4輪駆動車でも進め
なくなってしまい、車を置いて徒歩で進んだところ、10分も歩かないう
ちに別の避難集団を見つけた。

12人の集団で小さな子供と老人もいた。

ここではなく、もう少し手前にも避難している集団があるのでそこへ合
流するように説得し皆を誘導した。

車を駐めてある所まで戻り、3回に分乗して全員を合流させた。

小集団で分散して避難しているより、なるべく一つの場所へ合流した方
がいい。

その方が炊き出しや力仕事などの人手も増えるし救援の手も届く確率が
高い。

この合流した集団へ積んできた物資を全て降ろし、昨日立ち寄った大規
模避難所へ再び寄り職員へ事情を説明して救援を求めた。

合流させたことで私の積んできた食料や水の量ではとても全員には行き
渡らない。

家に帰ると明日に備えて、再び物資を積み込んだ。

被災地への物資運搬と、自分の会社の復旧処理と疲労困憊なのだが、一
昨日以来、眠ろうとすると被災現場の惨状が蘇ってきて寝付けない。

翌日再び出かけようとすると、妻が少しの食料とジュースを持ってきた。

今朝から近所のスーパーが臨時営業を始めたので並んで買ってきたのだ
という。

たったこれだけの物を買うのに気温0℃近い早朝から3時間以上列に並び、
一人10点までと限定された僅かな食料を買ってきてくれた妻に頭が下が
る思いだ。

しかもそれを全て避難所へ持って行けと言う。

家の分はあなたが避難所へ出かけている間にまた並んで買うからいいの
だと。

知人から届いた大量の物資も底をつきかけていた時に、とてもありがた
い言葉だった。

避難所へ到着すると荷物を降ろし、昨夜は冷え込んだので風邪などひい
ていないかと尋ねると、昨夜、老人が一人亡くなったという。
餓死なのか凍死なのかわからない。

皆さんは「トリアージ」という言葉をご存じだろうか。

トリアージとは、時間的・資源的な制約があって任務や課題のすべてを
実施・完了できないとき、一定の基準に従って着手の優先/非優先を判
断する事で、主に大災害時などの医療現場で行われる。

つまり「命の優先順位」であり、時と場合によっては命の重さは必ずし
も同じでない事を意味する。

勘違いしないで欲しいのは、命が何より大切なものだからこそトリアー
ジという仕組みが存在すると言う事である。

ある小さな避難所での出来事である。

震災発生から一週間、水も食料もほとんど無く、夜間、早朝は氷点下と
なる小さな掘っ立て小屋の中で、海水で湿った衣服や毛布にくるまり、
誰もが体力の限界状態にあった。

目の前に残ったほんの僅かな食料はとても皆の口に入る分はない。

ある男性がその食料の分配の差配をした。

「子供とその母親には食べさせなくてはならぬ」「ばあちゃん、ごめん
...」と。 とてつもない葛藤と勇気が必要だったろうと思う。
翌朝、そのご老人は亡くなった。

差配をしたその男性は自分の母親の亡骸にすがりついて泣きながら何度
も詫び続けていた

私は悔やみました。

なぜ、あの日もう一度僅かの食料でも運ばなかったのか。

なぜ、全員を避難所へ移送しなかったのか。

一晩中かかっても、たとえ半分の人数しか移送できなくても、そうすれ
ば結果は違ったかもしれない。

数日して、一部の宅配業者が営業所止めでの条件の下、荷物の輸送受け
入れを始めた。

私の所にも、遠くは九州、そして和歌山県から、また首都圏、関東各地
からも、多くの友人から次々と支援物資が届いた。

それこそ家の中に入りきらないほどの量が届いた。

これほどの物資がこうして届くのに、自衛隊やレスキュー隊も続々と来
ているのに、震災発生から2週間も経つのに、なぜ未だに孤立した避難所
が存在するのか不思議でならない。

それほど避難者が多く、それだけ甚大な災害なのだろう。

再び全国から届いたご厚意の物資を車に積み込み、孤立した避難所へ届
け、届けた避難所から情報を受け別の避難所へと届けた。

瓦礫を車で押しのけ、道端に置かれた遺体を踏まないように、何度も瓦
礫の中を往復した。

ある時、材木などの瓦礫が車体の下部に引っかかり、構わず前に進もう
とエンジンにパワーをかけた為、瓦礫によってサスペンションが壊れブ
レーキホースが破断した。

幸いエンジンは回り続けているので、満身創痍となった愛車を何とか広
い通りまで運転し、ヤナセに電話をしてロードサービスのレッカーを手
配してもらった。 愛車はそのまま修理部品が届くまでヤナセへ長期入院
となった。

まだ家に残る物資を届けようと市内のレンタカー会社を片っ端からあたっ
たが、ガソリンの供給がストップしている為、どこも貸し出しはしてい
なかった。

自宅にはガソリンがあるので、何とか貸して欲しいと交渉するもどこも
返事はNOだ。

物資を届ける手段が無くなり、私の避難所への訪問は終わった。

その後、会社と自宅の立て直しに奔走しながら現在に至っている。

震災の写真の多くはメディアのカメラマンが撮影した物ですが、最近に
なって何枚か私も市内の様子などを撮りました。

目を背けたくなるような写真もあります。(崩壊した家屋の中に毛布で
くるまれ眠ったように横たわる老婦人、押し潰された幼稚園バス?の窓
からかろうじて出した子供の頭を撫でてたたずむ母親等々)TVなどで放
映されている映像は現実の一部でしかない事を知っていただきたい。

亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。そして、この大規模
な災害を受けられた地域が一日も早く復興されることを心から祈念申し
上げます。


(写真の所在は不明です。)



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