いなかうぇ〜ぶ

山陰地方 鳥取県、島根県の中海圏域の話題を中心にいなかの話題や情報をご紹介いたします。
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米國はなぜ日本と戰爭したかったのか
渡部 亮次郎氏の頂門の一針というメルマガの2447号  11・11・29(火)の記事です。
是非残しておきたいと思ったので勝手ながら転載させてもらいました。





米國はなぜ日本と戰爭したかったのか
━━━━━━━━━━━━━━━━━


            高山 正之

[日米の分岐點、1898(明治31)年]

●開戰和年にあたり、大東亞戰爭はなぜ起ったのか、大東亞戰爭の教訓
とは何か、の二點について、特に日米關係を中心にお伺ひしたいと思ゐ
ます。

〈高山〉いきなり大東亞戰爭は、とダイレクトに行っちゃうと物を見誤
る。つい最近も「日米衝突の根源1858-1908」(渡邊惣樹著、草思社)とい
ふ本が出てゐますが、僕が考へてゐるのは、1893(明治26)年です。日
清戰爭の前年ですが、この年にハワイが米國に乘っ取られた、大東亞戰
爭、ことに日米戰爭の火種はここに起因します。

それまでの日米關係は良好だった。そもそも米國が國際社會に登場した
のは、ペリーの日本來航です。神祕の國、日本を開國させたといふこと
で、米國は國際社會にデビューすることができた。

スウィフトの『ガリバー旅行記』でガリバーが天空の島、ラビュ夕から
降り立った後、訪れたのが日本だったといふくらい、當時の日本は神祕
のペールに包まれてゐた。それを開國させたといふのは米國にとって國
際社會に誇れることだったのです。

それまでの米國は、ヨーロッパからすれぱ野蠻國でしたから、國際社會
にアピールできることがあまりない。神祕の國日本は米國を通して語れ
といふくらい、日本は米國にとって國際社會に對するアピールポイント
だったのです。實際、日本にとっても近代國家を目指すうへで、米國と
の良好な關係は望ましかった。

それが分斷されたのが、1893年のハワイ乘っ取りでした。

●現代の我々は忘れがちですが、もともとハワイは王國として獨立國で、
日系移民も多く、ハワイの王樣が日本を訪問し、明治天皇と會見するな
ど早くから交流がありました.。

〈高山〉 その獨立國ハワイを米國は卑劣な手段で乘っ取ったのです。ハ
ワイ王朝の女王リリオカラニが米國人移住者でもある高額納税者に限ら
れてゐた選擧權を貧しい島民にも與へるとする憲法改正を發表すると、

ハワイの政治經濟を支配してゐた白人移民たちは、米本國に支援を要請、
米軍がハワイに上陸して王宮を包圍し、女-王を退位させます。

かうしてハワイ王國は消滅し、米國系市民サンフオード・ドールを大統
領としたハワイ共和國が樹立されました。ちなみにサンフォード・ドー
ルはパイナップル王ジェームズ‐ドールの從弟です.

當時、白人國家は「第三世界の國々は海岸線を取れぱその内陸もその國
のものになる」といふどんでもない條約(ベルリン條約、1885(明治18)
年)を結んだ頃でしたが、「よその國を取ってしまふのか」と日本人は
ものすごい驚きと恐怖を覺えました。

そして、日本は、巡洋艦「浪速」をハワイに送って米國に抗議の意思を
示しました。「浪速」艦長の東郷平八郎は、「武力でハワイ王政を倒す
暴擧が進行してゐる。我々は危險にさらされた無辜の市民の安全と保護
に當たる」と宣言し、ドール大統領からの共和國樹立を祝う祝砲要請を
拒絶します。

港にゐた他國の軍艦、商船も東郷に倣ひ、「ホノルルはハワイ王朝の喪
に服すやうに靜寂に包まれた」と世界に報道されました。これに米國は
激怒します。當時、有色人種が白人のやったことにクレームをつけるな
んてありえない話だったのです。

この事件が日米の分岐點になりました。

[ルーズベルトは親日か]

〈高山〉 そして、その翌年勃發した日清戰爭で、日本は眠れる獅子と恐
れられてゐた清國に勝利し、臺灣などの領土と2億テールの賠償金を得、
その賠償金で日本は英國に2隻の軍艦を發注します。

このとき米國の海軍次官で後に大統領となるセオドア・ルーズベルトは、
友人のアルフレッド・マハンに宛てた書簡のなかで、「日本の脅威をひ
しひしと感じてゐる」と記してゐます。

ルーズベルトは親日的だったといふ認識が保守系の論客の間にも廣がっ
ててゐるやうに見受けられますが、とんでもない誤解です。

日米開戰時の大統領で、日本兵の骸骨で作ったペーパーナイフを愛用し
てゐた義理の甥のフランクリン‐ルーズベルトと同じく、その伯父セオ
ドア・ルーズベルトもまた狡猾な白人優越主義者の一人だったのです。

日露戰爭の講和の仲立ちをし、新渡戸稻造の「武士道」を愛讀してゐた
といひますが、ポーツマス條約時に彼がやったことは、ロシアが日本に
一錢の賠償金も寸土の領土も與へないやうに仕-同けることでした。

日本は、ロシアから戰艦百隻を買へるほどの賠償金を取り、滿州もシベ
リアも取ってしまふのではないか、と恐れたのです。それほど米國は國
際社會に臺頭してきた日本を脅威と感じ、敵意を抱いてゐた。セオドア
・ルーズベルトが親日家だと信じる人たちは、マハン宛ての書簡でも讀
むといい。

●それは意外ですね。

〈高山〉日本人は驚くほど米國の歴史を知らない。ぺりーが日本に來る
前から彼らがアメリカ大陸で何をしてきたか。先住民のインディアンを
虐殺し、インディアンの食料源だったアメリカパイソン(アメリカ野牛)
を絶滅させてインディアンを根絶やしにしようとしました。

1776(安永5)年に13州で建國した後も、西部に至るまで次々に簒奪し
ていきました。領土をかすめ取る米國の手口の原型ともいへるのがメキ
シコ領の收奪です。

カリフォルニアもアリゾナもネバダもユタもテキサスもメキシコから奪
ったものだ。お陰でメキシコは領土の半分以上を米國に奪はれた。その
手口の象徴がアラモの砦です。

●映畫でおなじみですね.

〈高山〉メキシコ領だつたテキサスに入植させてくれといって、アメリ
カ人の入植者がメキシコ人の人口を上回ると、住民投票で獨立しようと
言ひ立てる。怒ったメキシコ政府が獨立派を追ひ詰め、彼らが立てこも
ったアラモの砦を落とすと、「アラモを忘れるな!」といって、米國民
から義勇兵を募るといひつつ實は正規の軍隊を出してメキシコをやっつ
け、テキサス共和國を打ち立てる。そして後に米國に併合してしまふ。

餘談ですが、クリスマスシーズンに飾られるボインセチアは、ポインセッ
トといふアメリカ人に由來します。初代の駐メキシコ大使として赴任す
る彼に與へられた任務は、メキシコに内亂を起させることでした。

その内亂に乘じてアメリカ軍を介入させ、領土を割讓させるといふ手口
です。しかしその陰謀をメキシコ側に見拔かれて國外追放になったとき
に彼がメキシコから持ち歸ったのが、葉っぱが赤くなる植物だったとい
ふわけです。

●「リメンバー・アラモ」が、のちには「リメンバー・パールハーバー」
となるわけですね。

〈高山〉同じですよ、いつも彼らのやり口は。

[フィリピンを獲った米國]

〈高山〉西へ西ヘ、フロンティア‐スビリット(開拓精神)だの、マニフェ
スト・デスティニー(明白なる天意)だのと言へば聞こえはいいが、その
實態は、インディアンを虐殺し、メキシコから土地を奪ひ、ハワイから
國を奪ふことだった。そしていよいよアジアといふわけです。

その最初の一手がフィリピンでした。

アジアの植民地獲得競爭に遲れて參加したアメリカでしたが、すでにア
ジアでは、インド、ビルマはイギリスが、ベトナムはフランスが、イン
ドネシアはオランダが牛耳ってゐました。

ここでは詳述しませんが、彼らの植民地での振る舞ひは殘酷の一言です。
植民地とは何か。それは奴隸化し搾取することです。臺灣や朝鮮が日本
の植民地だったかといふと、この定義にしたがへば違ふのではないか。
日本はインフラを整備し、教育を施した。そんな植民地など世界史で聞
いたことがありません。

話を戻すと、米國は、「では一番弱いところはどこか」と考へた。それ
は、スペインの支配するフィリピンだった。大航海時代の過去の榮光に
すがるだけの老大國スペイン粗手なら勝てそうだと考へたのです。

表向きの理由は、米國の裏庭であるキューバでした。當時、スペインの
植民地だったキューバの民が虐げられてゐるといふ口實で、スペインに
戰爭を仕掛けました(米酉戰爭、1898(明治31)年)。

お得意の自作自演で、米戰艦メイン號をハバナ灣で自爆させてスペイン
の仕業に仕立て開戰し、勝利の賠償としてスペイン領だったフィリピン
を米國は獲得しました。

米國が端からフィリピンを狙ってゐたことは、次のことからもわかりま
す。キューバの獨立戰爭を支援するといふ名目でスペインに官戰布告し
たのが1898年の4月19日。

そして5月1月に、マニラ灣で最初の海戰があります。宣戰してから10
日問で太平洋をアメリカ艦隊が渡ってくるとはいくらなんでも早すぎる。
つまり準備萬端、アメリカの艦隊がマカオで待ってゐたといふわけです。

かうしてスペインから奮ったフィリピンでの米國の惡逆もひどいもので
した。米西戰爭時、獨立させると言って獨立運動の指道者アギナルド將
軍にスペイン軍の背後を襲はせます。

しかし、米國は戰爭に勝つと、約束を反故にして、アギナルドと配下の
獨立軍1萬8千人の掃討を始めました。

4年間にわたるフィリピン平定戰爭で、民間人を含む20萬人を虐殺した
うへで、植民地化しました。その掃討戰の司令官がダグラス・マッカー
サーの父親、アーサー・マッカーサーでした。

ちなみに、このときフィリピン人を拷問したやり方は、例へぱ、二十リッ
トルの水を飮ませて、最後は、巨漢の米兵が膨れた腹の上に飛び降りて
絶命させた。これはかつてキリスト教會がやった魔女裁判の眞似です。

米國に手なづけられたフィリピンの學校の教科書では、これらの殘虐行
爲は日本軍がやったことにされてゐます。さういふ日人やシナ人の行っ
た殘虐行爲が日本軍の仕業にすり替へられて流布された例は枚擧にいと
まがありません。

ところで、なぜ米國はそこまであくどい手口を使ってフィリピンを取り
たかったのか。

それはアジア進出と同時に日本の封じ込めがあったからです。

地圖を見れば分かりますが、日本から東南アジアに行くには、臺灣、そ
してフィリピンを通らなけれぱならない。その出口を押さへようといふ
わけです。

餘談ですが、第二次大戰の直前まで、日本の航空機は南方へは自由に飛
べませんでした。昭和15年になってやうやくバンコク乘り入れが實現し
ますが、當初は、佛印のインドシナ半島を迂回させられる意地惡をされた。

航空機は、白人の力の象徴でした。だから有色人種の日本の飛行機が東
南アジアを雄飛するのを白人國家は喜ぱしいとは思はなかったからです。

[米國の惡意---排日移民法とワシントン會議]

〈高山〉さて、日露戰爭後、より日本を敵視しだした米國が次にやった
ことは、日系移民の排斥でした。形は排華法に似てゐます。19世紀に大
陸横斷鐵道を作るために、米國は大量のシナ人苦力を入れましたが、鐵
道が出來上がると、邪魔になったシナ人に對し、1882(明治15)年、排
華法を作ってシナ人を追ひ詰めにかかった。

シナ人の集落を襲って皆殺しにするなど暴虐がなされました。それが20
世紀初めにかけてまで續きます。ところが、日露戰爭後、脅威の對象が
日本に變った。今度は排日法を作って、日經移民を排斥しだしました。

それと平行して米國はシナとの關係を強化していきます。その象徴が精
華大學の設立(1911(明治44)年)です。米國への留學豫備校として作ら
れたこの學校から米國に留學したシナ人たちが歸國してシナ大陸の實權
を握る頃、日本製品不買運動など樣々な排日運動がシナ大陸で激化して
行きました。

これこそ英國がインドでやったと同じ「デパイド・アンド・ルール」と
いふ分割統治の手法です。インドは15もの主要な言語がありますが、イ
ンドを植民地にした英國は、あへて統一語を作らせませんでした。

いまでもインドのお札には英語を合めて16の言語が書いてあります。イ
スラムとヒンズーの宗教間の對立を煽り、部族問の對立を煽り、團結さ
せないやうにしました。

ちなみにンドネシアを解放した日本は、インドネシア語をヂャカルタ語
に統一して教育を施しました。それはともかく、日本とシナとは別の國
なのにどうして分割統治政策なのか、と思ふかもしれませんが、白人か
らみれば、同じ黄色人種としてアジアは十把一絡げといふわけです。

彼らは黄色人種の團結を恐れたのです。これは白人たちのいまのアラブ
に對する態度と同じです。イラクのサダム・フセインは、汎アラブ主義
を目指したからアメリカに取り除かれました

。その視線で見た場合、アメリカにとって當時の日本はサダム・フセイ
ンだった。日本と支那が聯携してアジアをまとめていったら、とても太
刀打ちできなくなると思ったのです。だから日本とシナを故意に分斷し
ようとした。かうして日本は米國とシナでの排日の嵐に卷き込まれてい
ったのです.

次に米國がやったことは、日英同盟を破棄させたことです。ワシントン
會議(1921(大正10)年)の一番のポイントは、軍縮ではなかった。あれ
で日本は國際的に孤立していきました。

もし日英同盟がその後も繼續してゐたらシナ事變は隨分樣相が變わって
ゐたでせふし、日米戰爭もなかったかもしれない。しかし、米國は日本
を封じ込める布石として日英同盟の破棄を畫策しました。

餘談ですが、日本の外交史には、さういふ白人たちの惡意を見拔けずに
國策を誤った爲政者が少からずゐます。日英同盟破棄時の外相だった幣
原喜重郎などその最たるものですが、日經移民排斥のとき駐米大使だっ
た珍田捨己もその一人でせふ。

米國の新聞は、「日本人は怠け者で賣春や賭博にふける」とか「白人の
智惠を盜む」とか、あらゆる惡口を竝べ立てました。日系人の子弟は學
校から締め出され、土地所有を禁じられ、市民權の取得も拒否されまし
た。

しかし、珍田大使は、米國人の惡意を信じなかった。彼は、日本への批
判が出るのは、我々の側に問題があるのではないかと、日經移民七萬人
を調査し、「250人が花札などよからぬことをしてゐた」と外務省に報告、
「移民はいはば民間の外交官であり、その心がけが足りない」と逆に日
經移民たちを叱責してゐる有樣でした。

「まづ、相手を信じ、反省する」│この「珍田方式」が以降今日に至る
まで、日本外交の基本姿勢となってしまったのではないでせふか。

[根底にある人種偏見]

〈高山〉かくも長期にわたって、米國は日本を叩きのめすための對日政
策を推進してきました。一方、日本は、さういふ米固の思惑を知らず、
ぎりぎりまで日米交渉をしようと努力したあげく、最後は中國、佛印か
ら撤退せよなどとするハルノートを突き附けられてしまひます。

本來であれぱ、「米國はハワイを返せ、フィリピンを返せ」と日本側か
ら言ってもよかった。こちらのはうが米國の言ひ分よりよほど筋が通っ
てゐる。

ちなみに、從軍慰安婦非難決議なんていふのが米下院議會で上がった時、
日本の爲政者は、なぜかう言ひ返さなかったのか。「日本敗戰後、米軍
は日本占領のため上陸するとすぐに日本側に女を差し出せといった。

しかしその申し出に應じて『性の防波堤』を作ったのに、米兵は民家に
押し入り、婦女子を暴行陵辱したではないか」と。我が娘を庇った親は
毆られ、ときには殺されたりしました。さういふ狼藉が警視廳管内で1
日に46件もあったといふ記録があります。

日本の歴史家たちの著述を讀むと、大東亞戰爭は日本が一人で相撲取っ
てゐたといふやうな錯覺に陷るやうな代物があまりにも多い。視野が狹
すぎます。

昭和16(1941)年の斷面だけ切り取って、當時の指導者が惡かったと、そ
んなことばかり言ってゐる。しかし、日本にどんな指導者がいやうと、
あの戰爭は壯大な世界史の意思といふか、世界を握ってゐた白人の大き
な意圖があったのです。

日本と三國同盟を結んだドイツだって、裏ではシナに肩入れしてゐまし
た。稻垣清さんといふ南京戰の生き殘りの元少尉が言ってゐましたが、
南京に人ってみたら、BMWのバイクが何臺も遺棄されてゐたと。

ドイツから全部無償で提供されてゐたのです。米國のフライング・タイ
ガーばかり有名ですが、白人諸國はこぞってシナを使って日本を疲弊さ
せ追ひ詰めていったのです。

その歐米列強の植民地支配を打ち碎いた日本への白人たちの恨みは深い。
長年にわたり散々植民地から搾取收奪してゐた目分たちの罪のはうは見
ようとしないで、その利權をつぶされた恨みだけは忘れない。

USAトゥデイといふ新聞社が、20世紀の終りに、全米のヂャーナリス
トを對象に「20世紀最大の出來事は何だったか」といふ調査をやりまし
た。

第1位が原爆投下による日本の敗戰、第2位が月面着陸、第3位が眞珠
灣攻撃でした。つまり、米國人にとっては、ソ聯崩壞よりも何よりも、
日本をやっつけることができたことのはうが鮮列なのです。

ひとつ象徴的な事例を擧げませふ。「猿の惑星」です。原作は、「戰場
にかける橋」を書いた、フランス人作家ビエール・プール。彼は日本軍
の捕虜となったと稱して「殘忍で無能な日本人」と「優秀な白人」を對
比させる「戰場にかける橋」を書いた。

これが大當たりすると、次にそれをモチーフに「猿の惑星」を書きまし
た。日本人を猿に、黒人をゴリラに見立て、白人は猿どもに支配される
といふシチュエーションです。

同じシリーズの映畫最新作は、いかにして人類が猿たちに支配されるや
うになったか、その起源を描いてゐて、猿にアルツハイマーの藥を投與
したら知惠がついたといふ設定で、知惠がついた瞬間、いかにもずるが
しこい表情を猿がする、あれが日本人だといふわけです。

これこそ、根強い人種差別意識が白人のなかにはいまだに脈々としてあ
るといふことの何よりの證左だと思ひます。

大東亞戰爭はなぜ起ったか。端的にいへぱ、人種問題がその根底にある。
このことを素通りしては眞實は何一つ分からないでせふ。

大東亞戰爭の教訓とは何か、といふ質問ですが、かつて大東亞戰爭に至
る長い過程で、我々がさういふ白人たちの惡意、思惑を知らずに來たと
いふことこそが、最大の教訓のひとつと言へるのではないでせふか。

いまでも我々は彼らに容易に騙されてゐます。最近のできごでいへぱ、
リビアのカダフィ政權の崩壞、カダフイはリビア人の識字率を 90 パー
セントにまで高め、生活水準を高めた指導者でしたが、イラクのフセイ
ンと同じやうに、汎アラブ主義を掲げ、さらに汎アフリカン主義まで唱
へました。

そんなカダフイが白人たちにとっては目障りだったのです。リビアの石
油産出量は世界8位、しかも良質です。白人たちにとって、アラブやア
フリカは石油だけ産出してゐればよくて、政治的な主義、主張などしな
くていい。だから内戰状態が都合がいい。下手に智惠なんかつかない方
がいいといふのは、当に「猿の惑星」史觀ですね。

いま、中國が臺頭してきてゐるといっても、白人たちは、のさばらせる
だけのさぱらせておいて、目に餘ったらぴしやっと抑へられると思って
ゐる。また、中國はいづれ自壞していくとみてゐます。

●入植させて内亂に附け込んで植民地化する米國のやり口は、いまの中
國のやり口そっくりですね。

〈高山〉そう、もともと米國とシナは特性が似たところがある。シナの
話題が出たので、最後に一言しておきたいことがあります。

今年は辛亥革命百年で、孫文は、大陸でも臺灣でも國父ださうですが、
孫文の犯した大きな罪は、清國の版圖をそのまま中華民國のものとしよ
うとしたことです。

お蔭で滿州民族は消滅し、内モンゴルやチベット、ウイグルはいまだに
漢人の支配に苦しめられてゐる。しかし、歴史の眞實は、チベットもウ
イグルも、そして漢人も、等しく清朝の植民地だったのです。

その植民地體制が壞れたら、普通は、それぞれの民族が獨立國を作らう
といふことになるはずだ。ところが、孫文は、チベットもウイグルも自
分たちのものだといひ出した。これがいかにをかしい主張か。

たとへぱ英國の植民地だったインドが獨立したときに、インドが「英國
はインドの版圖だ」といふのと同じくらいをかしなことです。

(『日本の息吹』平成23年12月號インタビュー記事。入力に際して表記
は好みに合せ、年號は補った。編集部の了解を得て投稿 =上西俊雄)

高山正之氏は元産経新聞論説委員、元帝京大学教授。1942年生まれ

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そう遠くない将来、米国と日本は残念ながら、いづれまた戦争することになるかも知れないという気がしています。


そうならないためには、中国も必要でしょうが、この中国もまた今の所、どの国からも嫌われている。


白と有色の戦いなのか、世界の一部の富裕層(支配者層)の道楽なのかはわかりませんが、その体制が崩れていっていることも確かでありましょう。

替わりを中国共産党が狙っているのか。



地球に住む人類がすべて、仲良く共存してゆける日はまだ遠い先のことなのでしょうか。


差別と支配はいつまで続くのでしょうか。


大国とほんの一部の金持ちに右往左往させられている歴史はいつ終わるのでしょうか。



まさに手のひらで汗を掻いている、孫悟空状態がずっと続いているような感じを受ける世界の歴史です。


冗談みたいな話ですね。
JUGEMテーマ:日記・一般


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